《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原告たちの声/核兵器廃絶と平和への思い (東京編①)

『戦争と平和、平和のほうがいいです!』

現在、全国で300人以上の被爆者が原爆症認定を求めて裁判をたたかっています。
「原爆被害を国に認めさせたい」それは、核兵器廃絶と平和への強い思いにつながっています。
東京の集団訴訟の原告のみんさんが行った法廷での証言からの抜粋を掲載します。

※氏名横の年齢は証言時の年齢、【】内は認定申請疾病、日付は法廷で証言した日時です。

■青木由美子(77歳)【狭心症】090127
-広島市鶴見橋付近(1.5キロ)で建物疎開作業中に被爆、ケロイドが残る。

~やけどの跡が残ったということで、若いころ辛いことはありましたか。
『それはやけどを見せないことです。』
『半袖は一切着たことはありません。』
『(周囲の人が)あの人は原爆に遭っているからということで結婚できないというようなことをおっしゃいました。(自殺を考えたことも)ありました。』
~証言の最後に言いたいことはありますか?
『戦争と平和、平和のほうがいいです。私は、今77歳ですが、これから、死ぬまでは一生懸命生きて、子どもや孫の面倒を見たいと思っています。それだけです。』

■小佐々辰男(81歳)【S状結腸がん】090127
-福岡県の駐屯地から家族捜索のために8月14日長崎に入市、山里国民学校に収容されていた母親と再会するも一晩看病の後駐屯地へ。

『全身やけどで、顔も、思い出したくないんですが、つらかったです。ただ、これが母親かという、信用したくないぐらいの気持ちでおりました。』
〔一晩付き添った後駐屯地に帰らねばならず〕
『これはね、母親との最後の別れだと思って涙も出ないぐらい苦しみましたです。〔母親は3日後に死亡〕
~今の行政はどう思いますか?
『もっと被爆者にわかりやすく、そして、そういう一線を引かないで、被爆者の立場になって行政を変えてもらいたい、これが一つと、核兵器をなくすためにも我々は頑張らなければならんなと、そう思っております。』
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