《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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2006年5月12日(金)・大阪地裁 感動のドキュメント

原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌⑳

集団訴訟初判決、9原告全員勝訴
入市、遠距離被爆者も原爆症認定

2006年5月12日(金)・大阪地裁

 全国13地裁で170人の被爆者が国を相手にたたかっている原爆症認定集団訴訟のトップを切って、近畿の大阪、兵庫、京都3府県の原告13人のうち先発組9人に対する判決が5月12日午後、大阪地裁であった。
西川知一郎裁判長は、9人全員の国による認定申請却下処分を取り消し、原爆症と認めた。一人当たり300万円の国家賠償請求は「的確な証拠がないため、国が注意義務を尽くさず漫然と却下処分をしたとはいえない」として棄却したが、判決は、2003年5月の第1次提訴以来3年間、原告弁護団が訴え続けてきた「被爆の実相を見据えた判断を」との要求をしっかり受け止め、原告一人ひとりについて、その原爆放射線起因性と要医療性を詳しく調べて認定、国の現行認定制度のあり方を事実上全面的に批判する画期的内容となった。やったぞ! 突破口が開けたぞ! 国がどんなにあがこうと、もうこの流れは止まらないぞ! 国は、被爆者をさらに苦しめ続ける控訴などせず、ただちに判決を受け入れよ!

 この日、大阪は晴れ上がった。「僕は100%勝つと思っています」。4月末ごろ、友人に強気の判決見通しを送ったメール本文を携帯に保存して、私は持ち歩いていた。それでも物足りず、この日の昼食は梅田の地下街で、縁起をかついでカツ丼を食べ、午後1時15分から、裁判所南側、川沿いの公園で開かれた判決前集会に出かけた。しかし、挨拶に立った藤原精吾・近畿弁護団長が「私は昨日、天気占いをしました。晴れなら全面勝訴、雨なら不当判決…」と言って青空を見上げ、参加者の笑いを誘った後、「一人でも勝訴できるなら国の被爆者行政の基本が間違っていることを示すことになる。裁判はみずものの部分もあり…」と話し出したあたりから、心配で心臓が破裂しそうになってきた。杞憂だった。1時間もたたないうちに、天気占いの“大勝利”が待っていた!

 この日は原告のうち深谷日出子さん(79)、葛野須耶子さん(76)=以上兵庫=、木村民子さん(69)、佐伯俊昭さん(73)、甲斐常一さん(81)=以上大阪=、小高美代子さん(81)=京都=の6人の被爆者原告が出廷。午後1時40分、「国はただちに原爆症と認めよ!」の横断幕を掲げ、原告、弁護団、支援者の順に隊列を組み、裁判所正門から報道機関のカメラの砲列を横切って本館2階202号大法廷へ。入りきれない人たちは裁判所北門付近で待機した。

 午後2時、開廷。西川裁判長が主文を読み上げた。
「1、被告厚生労働大臣が原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づき原告深谷日出子に対し平成14年7月1日付でした原爆症認定申請却下処分を取り消す」。
  廷内はまだ息をひそめていた。
「2、被告厚生労働大臣が…原告葛野須耶子に対し…却下処分を取り消す」。
   まったく同じ文言。だが、これは大変な意味を持つ。葛野さんは被爆距離3・3キロ。国がこれまでがんとして認めなかった遠距離被爆者なのだ。原告弁護団席を窺う。慎重居士といわれる尾藤廣喜・近畿弁護団幹事長の顔が一瞬、ほころんだように見えた。あとは一瀉千里だった。木村さん、井上正巳さん(75)=兵庫=、佐伯さん、小高さん。次々と「却下処分を取り消す」。そして、原爆投下の後、救護などで広島、長崎に入り残留放射線を浴びるなどして被爆したいわゆる「入市被爆者」の甲斐さん、川崎紀嘉さん(80)=大阪=の原爆症も認められた。9番目の美根アツエさん(78)=兵庫=の「却下処分を取り消す」と西川裁判長が言い終わったのは、開廷からわずか4分後。勝った!全員勝訴だ!外で待つ支援者らへ知らせる旗を、と指示が飛ぶあわただしい弁護団席。裁判官がさっと退出、廷内にはたちまち興奮の輪が広がった。涙の止まらない弁護士、抱き合い、握手し続ける原告と弁護士。傍聴席の人たちからも原告の肩へ、背中へ祝福の手が伸びる…。
 
  私は法廷を飛び出し、階段を駆け下りて、北門へ走った。しまった。被告国側代理人の顔を見るのを忘れていた。いや、もういい。原告の気持ちを逆なでする質問ばかり重ねてきた、あんな顔など二度と見たくない。北門では歓声と拍手がわき上がっていた。「全面勝訴」「国の認定制度を批判」と大書した垂れ幕が、待ち構えた支援者らの前に高々と掲げられていた。続いて午後2時45分から、裁判所2階の司法記者クラブで原告、弁護団の記者会見。これものぞいて見たかったが、体は一つしかない。同じころ、約600m離れた北区菅原町の「いきいきエイジングセンター」で始まった勝利の報告集会場へと急いだ。
 
  この日の大阪地裁判決の意義は、原爆症認定訴訟近畿弁護団、同全国弁護団、原爆訴訟支援近畿連絡会、同全国ネットワーク、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が共同で出した声明文に凝縮されている。「全国13地裁の原爆症認定集団訴訟にあける先駆けとなる判決」だとして、声明文は以下のように述べた。
 ▽本判決は、原告全員につき原爆症と認定したこと、被爆の実態を正面から見つめて、原爆症についてはなお未解明の部分が多いことを前提として、現在厚生労働省がとっている原因確率論の機械的適用を排斥したことにおいて、画期的なものとなっています。
   ①被爆者援護の立場に立ち、
   ②被爆者援護法の国家補償的性格を積極的にみとめ、
   ③入市・遠距離被爆者についても広く認定の対象とし、
   ④現在の原爆症認定制度を根底から批判し、
   ⑤被爆の実態を見据えた新しい認定のあり方を示し、
   ⑥要医療性を広く認め、
 これらの点において今回の判決は、厚生労働省の原爆症認定行政の抜本的転換を求めるものです。
 ▽また国の原爆被害過小評価の姿勢を批判したものであり、世界中に核兵器の非人間性を訴え、世界から核兵器を根絶するよう呼びかけるメッセージでもあります。
 ▽私たちはこの判決が、五月晴れの空に舞う鯉のぼりのように、世界中の空にはためくことを願っています。
 ▽厚生労働大臣は、170人の原告のうち26人が既に亡くなっていることをふまえて本判決を厳粛に受け止め、控訴することなく、直ちに認定制度の抜本的改革を図るべきです。
 
  とりわけ判決理由の中で圧巻だと感じたのは、国が27万被爆者の1%たらずしか原爆症と認めない冷酷な「物差し」としてきた原因確率論の機械的適用を戒め、被爆者の立場に立った総合的判断を、と述べた次のくだりだった。
  「…放射線被曝による人体への影響に関する統計的、疫学的及び医学的知見を踏まえつつ、当該申請者の被爆前の生活状況、健康状態、被爆状況、被爆後の行動経過、活動内容、生活環境、被爆直後に発生した症状の有無、内容、態様、程度、被爆後の生活状況、健康状態、当該疾病の発症経過、当該疾病の病態、当該疾病以外に当該申請者に発生した疾病の有無、内容、病態などを全体的、総合的に考慮して、原爆放射線被曝の事実が当該申請に係る疾病の発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性が認められるか否かを経験則に照らして判断すべきであり、審査の方針の定める原爆放射線の被曝線量並びに原因確率及びしきい値は、放射線起因性を検討するに際しての考慮要素の一つとして、他の考慮要素との相関関係においてこれを評価ししんしゃくすべきであって、審査の方針自体において定めるとおり、これらを機械的に適用して当該申請者の放射線起因性を判断することは相当でないというべきである。」(判決要旨から)
  これこそ、公判のたびに原告が己の悲惨な体験を語り(語れない原告は筆談し)、弁護団が必死になってトレースしてきた「被爆の実相」への迫り方である。終わりの方にある「審査の方針自体において定めるとおり」とは、なんという国への痛烈な皮肉であろうか。現行審査基準でいけば、最高裁判決が認めた原爆症でさえ認定できなくなるという、国のずさんな認定行政に対し、「司法の権威」を取り戻した迫力あふれる文言に思えた。
 
  報告集会は130人の参加者でふくれあがった。弁護団の判決内容検討会議から出てきた三重利典弁護士が、判決書は600ページにも上る膨大なものだと説明、DS86と原因確率論という国の非科学的な認定基準を論破するために証人に立ってもらった被爆医師の肥田舜太郎、科学者の沢田昭二、安斎育郎各氏や医師集団の証言を、判決はほとんどその通りに確認したと指摘。集会にかけつけた肥田氏は「ほんとにすっとした。自分の思っていたことが公の場で認められ、うれしかった。私も来年は90歳。でも、これからもがんばる」。沢田氏も「判決は内部被曝の問題を重視しなければいけないと明確に書いている。こちらの主張が全面的に認められた」とかみしめるように語った。
1時間半後、報道陣から解放された原告5人(甲斐さんは欠席)が弁護団員と一緒に到着。大きな拍手の中、花束贈呈。一人ずつ「9人全員勝ててうれしい」「大勢の支援をいただき感謝します」「これからも頑張りましょう」など短いあいさつを行った。宮原哲朗・全国弁護団事務局長は「非常に高い水準、豊かな内容の判決で、間違いなく他の裁判所の判決に大きな影響を与えるだろう。これからがまさに勝負です。この判決をテコに、国の現行認定制度を廃止させ、より多くの被爆者を救済できる新しい認定基準を打ち立てたい」と力強く抱負を述べた。尾藤弁護士からは厚生労働大臣に控訴を断念させるための行動に取り組もうとの呼びかけ。最後に藤原団長が「この裁判は、核兵器を廃絶するという大きな目的に向っての一つのステップです。楽ではないが、これまでのたたかいに確信を深め、もっと多くの力を結集してがんばろう」と訴えた。4時40分、散会。
もちろん、近畿原爆訴訟はこれで終わらない。追加提訴組の中ノ瀬茂さん(大阪)、中野ハツさん(兵庫)、寺山忠好さん、森美子さん(以上京都)の勝利を一刻も早く勝ち取らなければならない。そして、これまで申請をためらい、あきらめていた多くの被爆者の原爆症を国に認めさせる大仕事が待っている。

あまりうれしいので、私事をもう一つ打ち明けることをお許しください。私の携帯にはもう1本、送信メールが保存されている。一昨年7月5日、大阪の国民平和大行進に参加して成田不動尊前で一服したときのもの。「大阪行進第6日。成田不動尊でおみくじをひきました。『吉』。ヤッホー。『訴訟事叶う』と」。裁判はまだ先が見えてなかった時期、友人を励ますつもりで発信したものだった。たかがおみくじ、されどおみくじ。よし、この夏、お礼参りの行進を1日追加するぞ。今夏の平和行進は、日本全国、近畿原爆訴訟の勝利で元気が出るぞ!
以上
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