《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌①

2003年8月8日(木)・大阪地裁

 いよいよ近畿の番がきた。
 原爆症認定申請を却下された大阪、兵庫の3人の被爆者が国に処分取り消しと一人300万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回公判が、8日、大阪地裁で開かれた。
台風10号が接近していたが、午前中は晴れ間ものぞく。午前10時、地裁1階ロビーには支援者ら多数が集まっていた。京都からも被爆者や支援ネットの人たちがかけつけた。「すみませんが、報道カメラの注文で、いったん全員、外に出て整列してから入ります」。弁護団員の声に、みんなぞろぞろとビルの外へ。原告、弁護団、被爆者、一般支援者の順に隊列をしっかり組みなおし、カメラの砲列を横切って正面玄関から入廷。2階202号法廷に入った。傍聴席はたちまち約90人で埋め尽くされ、入りきれず2階の廷外待機組も約10人出たという。若者の姿が目立つ。後刻の報告集会で、宮原哲朗・全国弁護団事務局長も「こんなに若い人たちの傍聴が多いのは初めてだ」と言っていた。

午前10時半、開廷。裁判官は中央に山田知司裁判長、陪席が2人の合議制だ。まず原告弁護団3人がなぜこの裁判を起こしたのか、意見陳述を行った。
最初に藤原精吾団長が「大阪提訴者5名は、全国8箇所の地裁に提訴した75名の原告とともに被爆者援護法の正しい適用を求める」として、原告らが裁判所に望むのは何かを、噛んでふくめるように訴えた。それは3点ある。①原爆症を正当に認定し、医療給付を行うべきことを求める②国の原爆症認定行政がでたらめ、かつ誤っていることを明らかにする③原告らが身をもって被爆の実態を示すことで、人類は絶対に核兵器を持つべきでないと訴える―ことだと。そして、「青春のさなか被爆した原告らの年齢も、平均70歳を越え、残された時間はわずかしかない。原告らの声に人間として耳を傾け、歴史の審判に耐えうる充実した審理と判決を望む」と締めくくった。われわれのたたかいは、裁判官をいかに説得できるかどうかだ―静かだが、強烈な意志が感じられた。
続いて、尾藤廣喜弁護士。被爆者・小西建男さんが勝訴(1998年12月11日、京都地裁、2000年11月7日、大阪高裁判決)した京都原爆訴訟を牽引した人だ。この訴訟で、認定作業をしている原爆被爆者医療審議会の審議がいかにずさんで機械的か、しかもその機械的作業の根拠となった基準「DS86」がいかに被爆の実相を反映していないか、が明らかになった、と指摘。小西さんに続いた松谷英子さんの長崎原爆訴訟(2000年7月8日、最高裁勝訴判決)でも「DS86」の同様の問題点が浮き彫りにされた以上、国は原爆症の認定のあり方を根本的に改めるよう求めたにもかかわらず、結果として出てきた新しい認定基準「原因確率論」にいかに問題が多いか説明し、現実の認定作業では被爆者の個別具体的な被爆状況やその後の症状の推移がほとんど検討されていない、と糾弾。今年4月15日になくなった小西さんが自らの生命をもって訴えたかったことは、被爆の実態に合わせた認定制度の運用なのだ、と訴えた。
3人目の梅田章二弁護士は、国の被爆者に対する完全救済義務の根拠を、国家補償に関連した判例も含めて法的側面から展開した。最後に、被爆者切り捨て行政は、放射線被害の実態を極力過小評価しようというアメリカや日本政府の意向が強く反映していると強調。湾岸戦争や今回のイラクへの武力行使でも使われた劣化ウラン問題にも言及したあと、2日前の広島での秋葉市長の平和宣言から「今年もまた、58年前の灼熱地獄を思わせる夏が巡ってきました。被爆者が訴え続けてきた核兵器や戦争のない世界は遠ざかり、至るところに暗雲が垂れ込めています。今にもそれがきのこ雲に変わり、黒い雨が降り出しそうな気配さえあります」の部分を読み上げ、「このような時期に、原告らは本件訴訟を提訴しているのです。この58年間の生涯をいやすことのできない傷跡と後遺症に苦しみ、不安の中での生活を強いられてきた原告らの裁判提訴の重みを、裁判所として、受けとめていただきたい」とダメを押すように述べた。

11時5分を回った。
 原告の意見陳述の番だ。この日は神戸市北区の葛野須耶子さん(73歳)と大阪市城東区の木村民子さん(66歳)が出廷した。山田裁判長がまず葛野さんを証言台に、と促した。そのとき私は、おやっと思った。裁判長が「いすに座っても結構です」とひとこと言ったのだ。当たり前といえば当たり前だが、開廷以来、「この人はどんな人間だろう」と裁判長の顔を見続けていたので、一瞬、なにがしかの期待感が脳裏をよぎったのかもしれない。
 背の低い葛野さんが座って発言している姿は、前の傍聴者にさえぎられてほとんど見えない。しかしメモを手にしながら要点をしっかり述べていた。長崎市で爆心地から3.3キロの自宅内で被爆した事実。1990年、60歳のとき、甲状腺機能低下症と診断され、今日まで投薬治療を続けてきた事実、2002年10月、乳がん摘出手術を受けたこと、その後の抗がん剤副作用で腸を病んだ事実…。葛野さんは2002年4月23日、原爆症認定申請をしたが同9月9日却下された。「いまなお障害に苦しむ多くの被爆者の方々のためにもお力になれたら、との思いもあって立ち上がらせていただきました。国の厳しい認定基準の見直しをお願いします」と結んだ。
 続いた木村さんは立って陳述した。8歳のとき、大阪大空襲で家を焼かれ、広島市内に移り住んで約2ヵ月後。爆心地から2キロ近く、さえぎる物がなにもない田んぼのあぜ道を登校中の被爆。爆風で田んぼの中に吹き飛ばされ気を失った。歯茎からの出血など体の異変は被爆直後から。それでも15歳で大阪に戻り、25歳で結婚、31歳で小さな小売店を開業し、2児の子育てと家事をしながら夫と二人、こつこつと店を営んできた。65歳で胃がんの告知。2002年1月、胃の3分の2を切り取る手術と、苦しい抗がん剤治療を受けた。「しかし原爆症認定申請に、返ってきたのは紙切れ1枚の却下通知。がん告知よりも強いショックを受けました。人間扱いされていないように感じました」。木村さんは、最後はメモを見るのを止め、裁判長を見据えるようにして「今回の提訴は私個人の問題だけではなく、世界の平和につながること。イラク戦争をテレビで見ていたら、大阪大空襲と同じだと思いました。戦争は絶対避けなければなりません。どうぞよろしくお願いします」と結んだ。二人でちょうど15分間の陳述だった。
 このあと山田裁判長、原告・被告代理人の間で被告準備書面の提出期限を9月22日までとするなど若干のやりとりと取り決めがあった後、次回公判は10月10日(金)午前11時と決めて、閉廷した。

11時45分から地裁隣の大阪弁護士会館5階に場所を移して報告集会があった。この日の原告、弁護団陳述要旨のメモ資料が会場に配られた。葛野さん、木村さん、弁護団の人たちと次回に出廷予定の男性被爆者2人が並び、テーブルをはさんで支援者らと向き合う形。初公判を傍聴したほとんどの人が参加し、ぎっしり。報道のマイクも用意され、とりあえず第1ラウンドが済んだ安堵感と一種の高揚感に包まれた。
 裁判長についての印象を語る人が多かった。藤原弁護団長は「顔を見ていたらまじめに取り組む表情がうかがえ、ほっとしている」と話した。裁判官を変えていくたたかいとの思いが常にあるからなのであろう。また、京都支援ネット再立ち上げ集会のとき、尾藤弁護士が指摘していたが、スピード裁判への制度改革の流れが、一歩間違うと、上っ面をなでるだけの形式裁判の危険を生む、そんな危惧感が余計裁判官のしぐさ一つにまで注目することにつながるのかしれない。葛野さんも、木村さんも「裁判官はやさしい印象を受けた」「顔を見ながら話していたが、やさしそうだったので安心した」という。3人の裁判官が過去どんな判決を下しているかのデータさえ持たない私には、正直なところまだ何も分からない。
 東京からかけつけた宮原・全国弁護団事務局長は「原告はいずれ100人近くになるだろう。集団訴訟全体の流れからすると、近畿の裁判が一番内容的に先行していくことになりそうだ」と報告。弁護団がこの日の陳述の中で引用した秋葉広島市長の平和宣言で、自分はもうひとつ別の個所、市長が「暗闇を消せるのは、暗闇ではなく、光だ」とし、「力の支配」は闇、「法の支配」が光ですと述べたことに強い印象を受けた、と宮原さんは語り、法の支配を勝ち取るためにみんなでがんばろう、と訴えた。
 ほんとうにその通りだ。この日の弁護団陳述を聞いていて、一番驚いたのは、国の新たな基準「原因確率論」に従えば、長崎原爆訴訟の松谷さんも、京都原爆訴訟の小西さんも、いずれも認定をうけられないと知ったときだ。被爆者がやっと勝ち取った最高裁判決は、大阪高裁判決は、つまりは「法の支配」は、いったいどうなるのだ!
 この裁判は絶対負けられない。                      以上
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