《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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近畿の公判傍聴日誌(21) 不当な控訴について

血も涙もない・「法の支配」に対する新たな挑戦!

好評の原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌(21)
被爆国のジャーナリストに訴える
日本政府の不当な控訴に際して
2006年5月23日(火)

厚生労働省は5月22日、大阪地裁が同12日、全国13地裁で170人の被爆者がたたかっている原爆症認定集団訴訟のトップをきって下した判決―大阪、兵庫、京都3府県の被爆者9人に対する国の認定申請却下処分をいずれも取り消した原告全員勝訴の判決を不服として、大阪高裁に控訴した。
この不当な措置は、今日の日本政府の被爆者行政の体質を二重の意味で浮き彫りにした。第一に、全国から上京してきた原告の被爆者、弁護団、支援者らが厚生労働省前に座り込み、「控訴するな」「大臣は面会して被爆者の思いを聞け」と要請している最中に、平然とやってのけたことである。まさに血も涙もない態度ではないか。第二に、新聞報道によれば、控訴理由は「現行の認定制度は医学・放射線学の常識に基づくもので、それとまったく異なる判決だった」からだという。これを鉄面皮と言わずして何というのか。国の認定基準が批判されたのは、今回の判決が初めてではない。長崎松谷原爆訴訟(地裁、高裁、最高裁)、京都小西原爆訴訟(地裁、高裁)、東京東(あずま)原爆訴訟(地裁、高裁)と、国を7連敗させた判決の積み重ねの上に立って、現在の原爆症認定の物差し「原因確率」の機械的適用を排し、入市、遠距離被爆を認めてこなかった認定行政を厳しく批判した今回の画期的判決に到達したのである。どちらが非常識かは歴然としている。控訴は、「法の支配」に対する新たな挑戦をも意味する。

原爆症認定訴訟近畿原告団、同近畿弁護団、原爆訴訟支援近畿連絡会、日本原水爆被害者団体協議会、原爆症認定集団訴訟全国弁護団連絡会、原爆症認定集団訴訟を支援する全国ネットワークはただちに共同で抗議声明を発表した。
「控訴は、被爆者の切なる願いを踏みにじり、被爆の苦しみをさらに増大させるものであるばかりか、核兵器廃絶を願う国民を裏切る行為である。被爆者には時間がない。全国の原爆症認定集団訴訟原告のうち、すでに26名もの原告が死亡している。今、厚生労働大臣がなすべきことは、控訴ではなく、問題点を指摘された認定行政を根本的に改めることである。私たちは、国が全ての原告を直ちに原爆症と認定し、認定制度を抜本的に改めるまで、あらゆる運動を展開し、断固として闘い続ける」

 私が控訴を知ったのは、NHKテレビが22日夕方、フラッシュニュースを流したという同夜の知人からのメールだった。23日の朝刊各紙を読んでいささか落胆した。大半の新聞が控訴の事実を社会面の片隅にベタ(1段)記事で扱っただけだった。判決の日の報道と落差が大きすぎた。私は記者さんたちがどんな思いでこの記事を書いたのだろう、そしてこんな紙面扱いになっていくのをどう感じていたのだろうか、と考えるうち、「記者さん、がんばってくれ!」とすがりつきたい気持ちにかられたのだった。大阪地裁判決を報じた日本のメディアの報道は全体として、手厚く、充実していた。原告団などの22日の国に対する抗議声明も、「判決を受けて各紙は『国は認定基準を改めよ』(朝日新聞)、『血の通った審査方針に改めよ』(毎日新聞)、『早急に基準の見直しを』(東京新聞)等の社説を掲げ、控訴の断念、被爆者の早期救済を国に訴えかけている」と言及していた。
 日本のジャーナリストのみなさんに、国の控訴を聞いた原告の一人、京都市の小高美代子さん(81)が語った次の言葉の中から、被爆国日本のジャーナリズムが果たすべき責務の重さを感じ取ってくれることを、一市民として、私は希望する。小高さんは「アメリカからも日本国からも61年という長い年月冷たく見られてきた。そんな中でも私たちは一生懸命頑張って、貧しい日本が栄えてきた力になってきたつもりです。このまま裁判を続けて一人ひとり日の目を見ないで死んでいくのを待たれるのかとかんぐりたくもなります」と述べた。

 広島原爆投下からちょうど1ヵ月後の1945年9月6日、アメリカから被爆地の現地調査のため来日したマンハッタン計画(原爆開発計画)の副責任者ファーレル准将は、東京帝国ホテルで連合国の海外特派員に向け、声明を発表した。被爆者についてのアメリカの最初の公式見解となったこの声明は、「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬現在、原爆放射能のため苦しんでいるものは皆無だ」というものだった。しかし、このとき、広島と長崎では、毎日、100人をこす被爆者が苦しみ悶えながら死んでいき、また何万という被爆者が、救護所で、原爆症の苦しみにあえいでいたのである(椎名麻紗枝「原爆犯罪―被爆者はなぜ放置されたか―」大月書店刊などから)。それから間もなくの19日、こんどは占領軍がプレスコードを発し、日本のメディアが原爆被害の報道をすることを禁止する。このとき以来、被爆者の長い、長い、苦難の人生が始まった。プレスコードは日本が国際社会に復帰するまで7年間続き、被爆者は日本国内でも放置されたままだった。

 アメリカ政府が被爆の実相を隠蔽しようとしてきたのは、原爆投下がもたらした惨害、その残虐性、非人道性に対する国際的非難を恐れたからである。日本の歴代政府は、アメリカのこの核兵器政策に追随した。その延長線上に、今日の理不尽な原爆症認定却下問題がある。不十分ながら被爆者に救済の道が開かれるようになったのは、1954年の米ビキニ水爆実験被災をきっかけに日本から起こり国際的に広がった原水爆禁止運動、その主柱に据えられた被爆者援護の運動に支えられてのことだった。核兵器廃絶に、国際世論の力は決定的である。日本のジャーナリズムは、先のアジア太平洋戦争で日本軍国主義の侵略戦争賛美の道具となり、戦後は長くプレスコードで被爆の惨害を報道できないという、重い十字架を背負ってきた。被爆国のジャーナリストが今何をすべきか、原爆症認定訴訟はあらためて問いかけている。                         以上
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