《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌③

2003年12月10日(水)・大阪地裁

 12月10日午前11時から、大阪地裁で、原爆症認定集団訴訟・近畿の第3回公判があり、先月追加提訴したばかりの京都市南区の小高美代子さん(79歳)、大阪府門真市の甲斐常一さん(78歳)の被爆者2人が意見陳述を行った。
 前日、小泉内閣はイラク特措法に基づく自衛隊イラク派遣の基本計画を閣議決定。日本は、平和憲法を掲げた「非戦の国」からアメリカに追随する「戦争する国家」へと大きく舵を切った。この重大な時期にぶつかった裁判の持つ重い意味を考えながら、2階202号法廷の傍聴席に座った。支援者ら約50人。まずい。空席が目立ち、ちょっとさびしい。
 「一人10分ぐらいずつ陳述します」との弁護団の声に促されて、最初に小高さんが車いすで証言台前に出た。少しでも多く話したい。そんな気持ちからか、用意してきたメモをやや早口で読んでいく。しかし、20歳、妊娠5ヶ月、爆心地から1・8kmの親類宅で被爆、必死で逃げる途中に見た死体のことを説明するうちに、当時がよみがえったのだろう、「死体、死体、死体…」と、この言葉を10回以上繰り返し、涙声になってしまった。
メモを読み終えると、小高さんは裁判長に向かって「もう少しお時間をいただきたい」と頼み、「11月5日に提訴に来たとき、ここにおられる甲斐さんと一緒に記者会見に出ました。これまで語り部として自身の被爆体験についてはしゃべってきましたが、生々しい自分以外の被爆者のお話を初めて聞きました。鳥肌がたちました。そして目の前にあのときの死体の山、死臭までが迫ってきました。ああ、58年間、私は目をつぶって、逃げて、逃げてこようとしていたんだと思いました。苦しい思いをしながら死んでいった人たちのためにと思って、こうして出てまいりました。どうぞよろしくお願いします。すみません。ありがとうございました」と述べた。
甲斐さんも車いすで出廷した。甲斐さんは「入市被爆者」である。広島市基町、爆心地から約500mの広島第一陸軍病院に勤務していた陸軍衛生兵で、原爆が投下、炸裂した当時は、患者護送のため派兵されていた長野の塩尻から広島に帰る途中だった。汽車が広島駅まで進まないので数駅手前で降り、広島駅まで歩いてたどりつき、さらに市電沿いを歩いて第一陸軍病院に向かった。その日は野営、翌日から約1週間、被爆者の救出・手当てに従事した。この間に多量の放射線を浴びたのだ。
「軍人の立場から当時のことをいろいろ話しかったが、感情が先走って十分言えなかった」と後刻の報告集会で甲斐さんは話していた。「座ったままで失礼します」とひとこと言ってメモをゆっくり読み始めたのだが、たちまち涙をこらえきれなくなった。「だれも経験したことのない、この世の地獄を見ました」と述べたときはハンカチを目頭にあて、先へ進めなくなってしまった。廷内を沈黙が支配する。眼鏡を取り換え、また少しメモを読む、また涙で中断、の繰り返し。陳述を終え、証言台の机に手をつき、介添えの奥さんに支えられながら車いすから立ち上がった甲斐さんは裁判官にむかって深々と一礼した。山田知司裁判長も頭を下げた。午前11時40分になっていた。

このあと、原告側弁護団は、被告の国側から出ている準備書面や答弁書には曖昧かつ不十分な点が目立つ、として4人の弁護人が次々に立ち、はっきり釈明するよう追及する意見陳述を行った。例えば、2度にわたる原爆投下は無辜の市民に対する無差別殺戮であり国際法違反だとの原告の主張に、被告側は「本件の争点と直接関係するものではないので、認否の限りでない」と逃げている。あるいはまた、長崎原爆松谷訴訟と京都原爆小西訴訟(いずれも原告勝訴)の判決を原爆症認定審査にどう反映させるのか、審査基準の正当性を言うなら、二つの裁判にあてはめるとどういうことになるのか、はっきりせよ―といった諸点だった。後日、書面にして正式に提出される。
最後に今後の公判日程が打ち合わせられ、第4回公判は2004年1月30日(金)、第5回公判は3月19日(金)いずれも午前11時からと決まった。正午過ぎ、閉廷。

報告集会が、地裁から少し離れた北区菅原町、いきいきエイジングセンターであった。尾藤廣喜弁護士が裁判の現状を報告。「まず裁判官に被爆の事実、実態を知ってもらい、なぜ訴訟を起こしているかを理解してもらわないといけない。それもあって毎回、原告の方に意見陳述してもらっている。今後も続けていく。せっかくいいお話をしていただいているのだから、早くパンフのようなものにして多くの市民にも知ってもらう工夫が必要だと思っている」「被告とのやり取りはいまのところわれわれの一方的追及になっており、被告は逃げている。わが国政府が核兵器の使用は国際法違反であると明言するのを避け続け、被爆者らの原爆による被害に対して、国を挙げての戦争による犠牲は国民が等しく耐え忍ぶべきだと言い続けてきた―とのわれわれの主張に、認否しないのだ。きのう政府は自衛隊のイラク派遣を決めてしまった。きょうはそういう意味でも大事な日だった」と語った。
出廷した二人の原告が一言ずつ感想を述べた。小高さんは「何してほしいというのじゃないんです。一人でもいいから被爆者の気持ち、立場を分かってほしいのです。私たちは先が短い。みなさん方はまだ若い。後世の人たちに『絶対やっちゃいけないことだ』と伝えてほしい。それだけです」と話した。
支援者代表からの裁判支援の取り組み報告などのあと、この秋、弁護士登録したばかりの若い男性弁護士が原告弁護団に加わった決意表明のためマイクを握った。自己紹介まではできたが、「二人の原告のお話を聞き…」と言ったまま、むせび泣き、ハンカチを目にあてたまま立ち往生してしまった。「一人の人間を不幸にするような権限は誰にもないと実感した…」「自分に何ができるか分からないが…頑張ります」と述べるのが精一杯。隣に座っていた小高さんが「お礼申し上げたい。ありがとう」と答え、会場は大きな拍手に包まれた。
以上
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