《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌⑤

2004年3月19日(金)・大阪地裁

 大阪地裁でたたかわれている原爆症認定集団訴訟・近畿の公判は3月19日、第5回口頭弁論を迎えた。本館2階の202号法廷傍聴席は、午前11時の開廷を前に、法律を学ぶ若者をはじめ大阪、京都、兵庫各地からの支援者らでほぼ満員。
 この日もまず原告被爆者の意見陳述が行われた。証言台に向かったのは第3次提訴の一人、川崎紀嘉(きよし)さん。山田知司裁判長の了解を得て、いすに座ったまま陳述メモを読み上げていった。
 川崎さんは、いわゆる「入市被爆者」である。1945年春、19歳で広島市宇品の陸軍船舶練習部教導連隊四中隊に入隊。8月ごろは、分遣隊の一員として、竹原町(現竹原市)内の国民学校を仮宿にし軍用物の運搬に当たっていた。6日、朝食後、運動場での朝の点呼の際、広島方面が光ったが、目をこらしてみても遠くで何か分からなかった。夜になって小隊長から使役を命じられ、竹原駅で広島から送られてくるけが人を病院へ運ぶ作業をする。そして、翌日からは広島市内で遺体処理に当たれと言われた。以降11日まで、爆心地からわずか300m以内の紙屋町とその周辺で、遺体を瓦礫の中から引き出して集め灯油をかけて燃やす作業に集中的に従事した。この間に相当な残留放射線被害を受けたのである。
 川崎さんは陳述で、遺体とその処理の模様を克明に述べた。真っ黒に焼け焦げ、なおもくすぶり続けるもの。内臓が飛び出しているもの。電車も黒焦げで、中に多数の遺体が…。においがひどいのでタオルで鼻をふさぎ、遺体を焼いた。40歳ぐらいの女性が来て、1キロほど先に父が死んでいるので一緒に焼いてほしいと言われ、収容。遺体から髪の毛を切ってあげると、この女性は喜んでいたが、その後どうなったことか。妊婦のお腹から胎児が飛び出していたので、一緒にして焼いた。負傷者の手当てをしようにも薬がない。重傷の赤ちゃんにも赤チンにガーゼだけしかできないのがつらかった…。竹原町へ戻ってから激しい下痢に見舞われるようになる。終戦をはさんで、一緒に作業に当たった者で髪が抜ける人が続々と増えた。仲間が死んでいく。「次は私が死ぬのかと思いました。それでも、これが放射能のためとはだれも知りませんでした」。地獄絵の世界にあってもなお、人間の尊厳を失わずに作業に当たった川崎さんの証言は、私の心を揺さぶった。
 訴状によると、「入市被爆」後、川崎さん(岸和田)に現れた急性症状、そして現在も続き治療中の貧血などからいって原爆被害の起因性も、要治療性も明白。なのに03年3月26日、国は認定申請を却下し、川崎さんの異議申し立てに対する採決もしない。「自分は直接被爆ではないが、放射能を浴びた程度はそんなに違わないと思う。原爆症を認められないのは納得できない。よろしくお願いします。大正15年2月生まれ、現在78歳、川崎紀嘉です」と意見陳述をしめくくった。
 続いて原告弁護団が、最近提出した第3、第4準備書面の要旨を述べ、次回以降の公判日程を、次回5月7日(金)、次々回6月23日(水)いずれも午前11時から、と確認して、この日は30分余りで閉廷した。
 これまで5回を数えた口頭弁論を振り返ると、特徴的なのは第一に、被告・国側の「口頭」の「弁論」がまるでないことである。第二に、答弁書等国側書面の徹底したそっけなさである。書面の応酬は、まず原告側が訴状を出し、これに被告側が答弁書で答え、原告側は求釈明申立書、準備書面でさらに追及、被告側も準備書面でやりあう流れになっている。当初、国側答弁書は「不知」「争う」「本件争点と直接関係ないから認否の限りでない」といった回答のオンパレードだった。訴訟技術とはそういうものさ、と見る人もあろう。しかし、そうではないのではないか、とやっぱり思う。国側の態度には、原爆症認定申請却下は絶対正しいのだ、という結論が大前提としてあって、それと整合しない主張には見向きもしない。まさに冷酷な被爆者行政の姿勢と同一なのだ。
 だが、少しずつ争点がかみ合い始めたようにも思える。例えば、原爆長崎・松谷訴訟が13年かかって最高裁で、ついで京都・小西訴訟が14年かかって大阪高裁で、いずれも原告被爆者側の勝訴となり(2000年)、確定した判決の中で、過去の認定基準での被爆線量評価体系として用いられたDS86に疑問が投げかけられたにもかかわらず、国側は「DS86の科学的合理性は証明された」「松谷最高裁判決はDS86の科学的合理性自体を否定しているものではない」(被告第2準備書面)と開き直ったからである。DS86をひきずる現在の新たな認定基準「原因確率論」を正当化するためであることは明らかだが、となると、この基準を当てはめた場合、松谷訴訟、小西訴訟のいずれの原告も原爆症に認定されないことになる矛盾を、国はどう説明しようというのだろう。この日の第3準備書面の要旨説明の中で、原告弁護団は、遠距離被爆者や入市被爆者の被爆実態を説明できないDS86の非科学性・非合理性をあらためて厳しく批判した。

 報告集会が弁護士会館で午前11時45分から開かれた。藤原精吾・近畿弁護団長、尾藤廣喜・同幹事長は「5回の弁論をやってきて争点整理がほぼ終わりかけている。次々回ぐらいまでには対立点の一覧表やどんな証人をお願いすべきかのリストなども裁判所に出していき、夏ぐらいから本格的な証人調べに入れるようにしたい」と今後の方針を説明した。
 また、3月31日午後、東京地裁で開かれる東(あずま)数男裁判の判決に注目しようと呼びかけがあった。東さんは東京・町田市に住む75歳の被爆者。長崎で爆心地から1.3キロで被爆した。集団訴訟以前から単独で足かけ5年の裁判闘争。肝機能障害(C型肝炎)を原爆症と認定させることができるかどうかが焦点になっている。
支援ネット関係者からは、公正な判断を大阪地裁に要請する署名が3次分3982筆、これまでと合わせ計7636筆に達したと報告、さらに署名を広げていこうと訴えた。
 集会の最後に、お年寄りの女性が「きょうは弁護士の方の弁論の声がちょっと小さく聞きとりにくかった」と発言。藤原弁護団長が「分かりました。発声練習もし、頑張りましょう」と会場を爆笑させたところで午後0時半、閉会した。           以上
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