《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌⑧

ヒバクシャと向き合い続けた59年の重み
被爆医師・肥田舜太郎氏を証人尋問
2004年9月3日(金)・大阪地裁

 全国11地裁で審理中の原爆症認定集団訴訟のうち、大阪地裁を舞台にした近畿地区の裁判は9月3日、第8回口頭弁論を迎え、全国のトップを切って証人調べに入った。
この日は、原告弁護団が、現行制度の根本的欠陥を追及し被爆の実相を見据えた被爆者行政への転換を―との主張を総論的に立証するため申請した3人の証人の一人、医師で被爆者の肥田舜太郎氏=日本被団協原爆被害者中央相談所理事長=に対する尋問が行われた。
 本館2階の202号法廷前には定刻の30分以上前から被爆者支援の傍聴希望者がどっと詰めかけた。学生ら若者も多い。100人弱の傍聴席はたちまち埋まり、20人ほどが入れなくなる。原告弁護団の一人が傍聴席に向かって「すみません。規定で座席数以外は無理なんです。午前の部を聞いたら午後は代わるなりして、みんなが傍聴できるよう、やりくりしてください。静かに交代するなら審理中でも構わないと認めていただきました。ご協力をお願いします」と訴える。各地で戦っている原告弁護団の関心も高く、北海道、千葉、東京、愛知、熊本からも代表がかけつける。始まる前から廷内は熱気に包まれた。
 午前11時すぎ、開廷。西川知一郎裁判長が「それでは今日から証人調べに入ります」と告げた。この日は午前11時―正午の1時間と、昼食休憩を挟んで午後1時半―2時半の1時間計2時間を原告弁護団による主尋問に、午後2時半―4時半の2時間を被告国側代理人による反対尋問に、それぞれあてる時間表で進められた。

 肥田舜太郎氏は大正6年1月1日生まれ、今年87歳である。証言台では、宣誓書読み上げの時以外は座って話したが、声には張りがあり、終始、意気軒昂だった。原告弁護団は佐藤真奈美、徳岡宏一朗、愛須勝也の3弁護士の順で午前から午後へと、質問をつないでいった。肥田氏は西川裁判長の目をしっかりと見据えながら、語っていく。3人の尋問が引き出したのは、広島のピカドンの日から59年間、数え切れないほどの日本の被爆者、世界各地の核汚染の被害者と向き合ってきた肥田氏の生き様そのものだった。
 <軍医として広島で体験した生き地獄>
 1945年8月、軍医として爆心地から近い広島陸軍病院に配属となる。たまたま6日早朝、爆心地から約6km、広島市郊外の戸坂村(へさかむら)に子供の往診に行き、診療中に原爆が炸裂、火球を目撃した。つむじ風が村の中にも流れ込み、小学校の屋根瓦が舞い上がる。ともかく病院へ戻ろうと、自転車を飛ばして広島へ向かう途中、ぼろを引きずり、両手をぶら下げ、両目が飛び出した異様な姿に出くわした。こわくて自転車から飛び降りる。目の前で相手が倒れたのを見て「生きた人間だ」と気づく。脈を取ろうとしたが、触るところがない。ぼろと思ったのははがれた生皮。初めて見た被爆者の最期だった。
 広島市街地から逃げてくる同じような人たちの列がずっと続いている。病院へ戻るのはあきらめ、村へ引き返して他の軍医、看護婦、衛生兵と共に医療活動に従事した。自分は死んでいる人間と生きている人間の「見分け役」というつらい役目だった。
 <焼けてないのに同じ症状で死んでいく>
 3日目あたりから被災者にびっくりすることが相次いで起こった。まず発熱。扁桃腺かと思い口を開けさせると、くさい。生身が腐っていく、なんともいえぬにおいだった。そして、出血、紫斑、脱毛。最後に口やお尻から血を出して死んでいく。
 焼け爛れた負傷者だけではなく、焼けてない人にも同じ症状が出た。松江の実家に帰って出産した後、広島の被災を聞き、1週間後、県庁勤めの夫を捜しに広島に戻り、戸坂村の避難先でやっと巡りあえた若い女性がいた。土蔵に寝ていた女性の胸元に紫色の斑点を見たのは4日後。初めて詳しい話を聞いて分かったのは、2週間、夫を求めて市内の焼け跡を歩き続ける毎日だったこと。女性は吐血し、頭髪が抜けて死んでいった。あとから考えると、彼女こそ「入市被爆者」だったのだ。(肥田氏も原爆投下の翌日、軍の命令で報告のため広島市内に入っている)
 <5千人下らぬ被爆者を診てきて>
 その後、広島を離れ、1947年3月まで国立柳井病院で被爆者の医療にあたった後、東京に出て、東京や埼玉で診療所長、病院長などを歴任、被爆者医療に携わる。89年、院長退任後も現場で診療・医療相談を続けてきた。「何人診てきたか、正直いって分からない。広島・山口で2千~3千人、東京に出てきてから3千人は下らないと思う」。
 被爆者との付き合いは、診療もさることながら人生相談みたいなものだった。とにかく話を聞いた。「原爆ぶらぶら病」に象徴される特有の「だるさ」、倦怠感の訴えが多かった。もう一つ、被爆者は、生身が、あるいは死体が焼かれたときの、あの強烈な「におい」の体験を共有していた。悲惨な状態の被爆者の救済を、アメリカ占領軍も、日本政府も長期間、放棄してきたことは許せない。
 <「内部被曝」に確信深めた海外との交流>
 1975年から、海外渡航32回延べ33カ国で被爆の実相を語り、核兵器廃絶を訴える(原告弁護団が傍聴席に配布した肥田氏の経歴書データから)。1976年、国民代表団に参加して国連に行ったとき、アメリカの学者、アーネスト・スターングラス博士からもらった本を読み、低線量放射線障害の問題の重要性に目を開かされた。89年、アメリカ・ボストン郊外で、被曝米兵を多数診ているドンネル・ボードマン医師に会った。先の国連行きの際、事務総長に提出した広島原爆に関するペーパーを贈ったところ、読むやいなや「おれの考えたのと同じものが広島にあった!」。原爆ぶらぶら病のことだった。
 チェルノブイリ原発事故やアメリカ・ハンフォード原爆工場風下地区など各種核施設の被害者の聞き取り、現地訪問も行った。外国のことを知れば知るほど、いつまでも被爆者を苦しめ続ける「内部被曝」の重要性を認識することが大事だと思うようになった。
 原告弁護団の3弁護士の質問に答える形で、こう述べてきた肥田氏は、国のこれまでの原爆症認定制度の基準とされてきたDS86や原因確率論を「誤りだ」ときっぱり批判。「被爆者手帳を持っている人は基本的に放射線被害者として認めるべきだ」と主張した。

 途中で小休憩もあって、被告国側の反対尋問は午後3時すぎに始まった。傍聴席に流れる一瞬の緊張。だが、最初の質問を聞いて、私は唖然とした。「これまで所属した学会や学位があるか」と尋ねたのだ。肥田氏「ありません」。そして、次の質問。「放射線の人体に対する影響について書かれた著書はあるか」。肥田氏「ありません。チャンスもなかった」。私は、マイケル・ムーア監督が昨年、米アカデミー賞授賞式の壇上でブッシュ大統領を名指しで語った有名な一言を思い出していた。「恥を知れ!」。日本で、戦後59年間、被爆者を診つづけてきた医師は極めて少ない。被爆者こそすべての肥田氏にとって、学位だとか学術著書だとかの権威が何の意味を持とう。質問はあまりに低次元で、裁判官の心証に訴えるには逆効果ではないか。今日の勝負はついた、と私には感じられた。
 その後の尋問も核心をつくものは何もなかったので省略する。反対尋問は持ち時間の半分ほどを使っただけで終了した。逆に追加尋問に立った原告弁護団に「裁判官にもう一度訴えることがあれば」と促されて、肥田氏は述べた。まさに、締めくくり発言だった。
 「大きなことを言うようだけど、広島・長崎の原爆の本質は人類にとって何だったのか、結論を出さなきゃいけない。これまで4千年間、自然の放射線とは共存してきたが、人類の存続にまで重大な影響をもたらす核兵器というまったく意味のない人工的放射線を作り続けている。人類はこれをどうするつもりか。考える出発点は被爆者だ。被爆者を大事にし、その言い分をよく聞いてほしい。裁判官のみなさんも、どうか大きな視野に立って判断していただきたい」。
 午後4時15分、閉廷。次回公判は10月1日(金)午後1時半―4時半、原告側申請の2人目、安斎育郎・立命館大教授(物理学・放射線防御)の証人調べ(主尋問と反対尋問)と決まった。

 大阪市中央公会堂会議室に場所を移しての報告集会は充実感にあふれていた。肥田氏も「反対尋問は拍子抜けだったな」とにこにこ笑っていた。藤原精吾・弁護団長は「今日の証言内容はぜひ本にして、沢山の方に読んでもらおう」と話した。原爆訴訟支援近畿連絡会から「近畿原爆症裁判・資料集(1)」(訴状、原告意見陳述書)がすでに刊行されている。一部800円。大阪地裁への要請署名が累計19137筆になったとの報告もあった。
 なお、この日、京都2人、大阪、兵庫各1人の計4人が大阪地裁に追加提訴、近畿の原告は全部で13人となった。追加提訴のうち京都市内の女性(79歳)は長崎で被爆者の救護活動中に放射線の影響を受けた。このケースは法律上、「3号被爆者」と呼ばれ、今回の集団訴訟の原告に加わったのは初めて。今後の戦いが注目される。
以上
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