《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原爆症認定集団訴訟・近畿の裁判傍聴日誌○35

原爆症認定集団訴訟・近畿の裁判傍聴日誌○35
初の高裁判決迎える5月、闘いは最大の山場へ
「原因確率」破綻しながら謝罪もしない厚労省

2008年4月30日(水)

 「原爆に遭い、戦後を必死に生きて原爆が原因の病気にかかり、命の宣告をうけてから国を相手に裁判を起こす。原爆を許すことの出来ない人生をかけた裁判を起こす気力はいかばかりだったろうか。人生の最後の5日間にたたかいは間に合ったのかどうか。前のめりの素晴らしい人生、原爆に負けなかった人生を学ばせてもらったおもいがします。ありがとうございます。安らかにお眠り下さい」
(京都原爆訴訟支援ネットのホームページ「掲示板」に寄せられた市民の声から)

厚生労働省の新しい基準に基づく審査で原爆症と認定され、4月11日、入院先の病院で認定書を受け取った原爆症認定集団訴訟・近畿の第1次原告グループ9人の1人、佐伯俊昭さん(75)=大阪市生野区=が、16日朝、亡くなった。「5日間だけの『認定』 間に合った でも遅すぎた」(毎日新聞4月17日付朝刊社会面)など新聞に大きく報じられた。
佐伯さんは12歳のとき、広島の爆心から約1.7kmの中学校に建物撤去作業のため登校、校庭で整列中に被爆。吹き飛ばされて倒壊した校舎の下敷きとなった。長い被爆人生の始まりだった。様々な病に襲われ、1999年には喉頭がんで全摘手術を受け、発声できなくなった。98年に原爆症認定申請したが、99年に却下され、異議申し立ても通らず、2003年、集団訴訟の闘いに参加したのだった。
大阪地裁の法廷では「筆談」で3時間以上も尋問に応じ、毎日放送(MBS)のドキュメンタリー番組はじめケロイドの裸をテレビカメラにさらして被爆の実相を訴えてきた。2006年5月、大阪地裁で全面勝訴。なのに国の不当な控訴で闘いは続いていた。今年に入って喉頭がんが再発、体調が急速に悪化し、認定書交付も集中治療室でだった。これまで佐伯さんを支え、励まし続けてきた京都原水協事務局の被爆者相談員、田淵啓子さんは、認定書交付の翌日、原告団長代行の広島の被爆者、木村民子さん(71)=大阪市城東区=と一緒に病院にかけつけた。佐伯さんは寝たまま、しかし両手でしっかりと認定書を持った。田淵さんが「よかったね。おめでとう」と声をかけると、開いた両目から涙が流れ、体中を震わせたという。
 佐伯さんにとって、まさに命と引きかえの原爆症認定だった。

 厚労省は4月7日、疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会の部会で、新認定基準に基づく初審査を行い、全国の集団訴訟原告16人を含む63人を原爆症と認定した。佐伯さんはこの中の一人だった。
 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)と集団訴訟の原告、弁護団は同9日、厚労省との協議の中で、①これまでの被爆者切り捨て行政を反省し、被爆者に謝罪せよ。②原告全員の原爆症を認定せよ。③訴訟遂行に要した費用を解決金として支払え―と3点の具体的要求を出した。
 同省は、これに直接答えぬまま、同21日、引き続き審査会を開き、集団訴訟原告32人を含む86人を原爆症と認定した。新基準による認定者はこれで原告48人を含む149人となり、昨年度の認定数128人を1ヶ月で上回った。

 たしかに一歩前進である。だが、厚労省のいまのやり方には、血の通った行政の姿勢がまるで感じられない。これまでの認定制度の誤りに対する反省の弁も、被爆者への謝罪の言葉もないからだ。忘れもしない。昨年12月12日、大阪高裁での近畿訴訟控訴審最終弁論で、被告国側代理人は「原告らはほとんど被爆していない」と繰り返し、「原因確率」に基づく審査方法に固執、「これ以上何が問題なのでしょうか」とまで開き直っていたのである(裁判傍聴日誌31参照)。しかし、全国で繰り広げた305人の原告たちの命をかけた訴えが司法と世論を動かし、「原因確率」論は破綻、それを前提にした新たな審査方法となったのだ。「間違っていました。すみませんでした」とまず原告たちに頭を下げるのが最低限の常識というものではないか。
 近畿訴訟の第1次原告グループでは、佐伯さんと同じ初審査で、広島の被爆者、井上正巳さん(77)=兵庫県川西市=が皮膚がんで原爆症と認定されたが、兵庫県から認定書が4月14日、配達証明郵便で送られてきただけだった。続いて原告団長代行の木村民子さんの胃がんが原爆症と認定されたが、これも大阪府から4月25日午後、電話で連絡があり、翌日、認定書が速達で郵送されてきたのだった。厚労省はまったく顔を見せない。この冷たさ。

 井上さんも、木村さんも、素直には喜べない。「全員でないので心苦しい」と井上さん。木村さんも言う。「とても複雑な気持ちで受け取った。うれしいことはうれしいが、飛び跳ねるような気持ちではない。まだ、他の仲間たちが認定されていないから」。思えば近畿訴訟の原告たちは、裁判で「勝つ人と負ける人がでたらどうしよう」と不安を抱きながら闘ってきた。それだけに大阪地裁で「全員勝訴」の喜びはひとしおだった。だが、厚労省は、原告たちに新たな「線引き」で再びつらい思いを強いつつあるのだ。305人の集団訴訟原告のうち3分の1程度は認定されない恐れがあるとされる新審査基準そのものが抱えた欠陥がそうさせているのである。
 4月28日には、東京訴訟の原告らが記者会見し、昨年3月、東京地裁判決で敗訴した9人のうちの5人が、新基準に基づく審査で原爆症と認定された事実を明らかにした。東京地裁判決では30人の原告のうち21人が勝訴、国の機械的な審査のあり方が断罪されていた。今回、新基準で敗訴者まで認定したことは、厚労省が取り続ける態度がいかに間違っているかをいっそう浮き彫りにした。なぜなら、同省は、「科学的知見」なるものを振り回し、地裁判決そのものを批判、控訴し続けてきたからだ。東京地裁判決はいみじくも指摘していた。「科学的根拠の存在をあまり厳密に求めることは、被爆者の救済を目的とする法の趣旨に沿わない」と。

 被爆者の残り時間はどんどん少なくなっていく。佐伯俊昭さんに続いて、近畿訴訟第2次原告グループの一員で広島の被爆者、谷口幾子さん(80)=神戸市長田区=が、勝利判決も、新審査基準による原爆症認定も手にすることができぬまま、4月21日朝、亡くなった。新基準での初審査で認定された原告の中にはすでに亡くなっていた人もあることが判明、あらためて「遅すぎた認定」に被爆者らの怒りの声が上がった。
新審査方法への切り替えで一時は「これで決着」といったムードが強まっていたマスコミ論調も、ここへきて再び国に対し厳しい注文をつけ始めている。「原爆症認定 選別ではなく救済の物差しに」と題した毎日新聞の4月13日付社説は、「国敗訴の判決内容を踏まえ、個別審査を弾力的に運用することによって幅広い救済を強く推し進めるべきだ」と説いた。長崎新聞は4月12日、「原爆症認定 新基準の評価はまだ不明」と題する論説を掲げ、新基準にはなお線引きが残り、原告団約300人のうち半数近くが新基準でも認定されない恐れがある、と指摘。「そもそも、新基準が、司法の示した認定基準を下回る水準で設定されていることも問題だ。裁判で認定されても、厚労省の審査では認定されない事態が予測される。被爆者団体は『行政の基準が、司法の基準に達していなければ、法治国家とはいえない』として、さらに踏み込んだ見直しを求めていたが、厚労省は無視して見切り発車した。こういう経緯を考えれば、基準になお改善が必要だ。せっかくの見直しの機会を、確実に援護拡充につなげたい」と訴えた。

集団訴訟の原告たちは4月18日、東京で全国原告代表者会議を開き、原告全員の認定を勝ち取るまで闘うことを誓い合った。新基準で認定された原告も国家賠償法による損害賠償請求の訴訟を続行する。
5月。舞台は再び司法に戻って、原爆症認定集団訴訟の闘い最大の山場がやってきた。
 ▽5月19日、札幌地裁▽5月28日、仙台高裁▽5月30日、大阪高裁と判決が続くのだ。札幌地裁での北海道訴訟は、厚労省の新基準による審査実施後初めての地裁段階での判決となる。高裁段階の判決も初めてだ。新基準で「積極認定」の対象となる疾病から外れた病の原告を、地裁や高裁がどう救うか。あるいは、地裁「6連敗」以降の国の対応について、高裁レベルでどんな審判を下すか。判決内容は重い意味を持ってくる。これを全面解決への決定的な契機ととらえた日本被団協、集団訴訟原告、弁護団は、5月から6月にかけて、それぞれの判決日前後を軸に、厚労省交渉、国会議員、政党、官邸への要請行動、国民への訴え―などを、座り込みも辞さぬ決意で精力的に展開していくという。     以上
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