《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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第6回厚労省との協議 原告・被爆者の想い

厚生労働省との第6回協議の中で、交渉団に参加した被爆者と原告から、原爆症認定集団訴訟解決にむけた思いが語られました。

■中山光原告団副団長(熊本)
 私たちはケンカがしたくて、ここに来ているのではない。国の良心に訴えたい。熊本でも、法廷にこれなくなる原告が確実に増えている。
 この前、原告の遺族から「中山さん、通知がきた」と電話があった。亡くなった原告の申請病名は、多発性骨髄腫だった。申請のときは自分で診断書をもらいにいって申請できた。しかし、提訴のときは輸血が始まっていた。そして3年前に亡くなってしまった。認定まで7年もかかった。お墓に報告しても何もならん!。遅すぎる。
 大阪でもそう。また「上告か」と思うと、人間不信に陥る。厚労省の良心を信じる。信じたい。
被爆者を救える行政マンとしての仕事をしてほしい。

■山本英典原告団団長(東京)
 5月30日に全員勝訴の高裁判決を勝ち取った大阪の原告の年齢をみると81歳、80歳、83歳・・・と高齢の方ばかり。上告されたら最高裁で2~3年はかかる。もう原告は生きていない。生きていたいと思っても、もう生きていられない状態になっている。6月1日に膵臓ガンで亡くなられた東京の原告も87歳だった。
 上告は犯罪行為だ。厚労省が「原告が生きている間に判決を聞かせるない」ということをしようとしていることになる。人道的な問題だ。
 仙台と大阪の高裁は被爆者施策はこうあるべきと判決を出された。しかし、5月20日の東京高裁での証人尋問で政府側証言として証言した明石真言証人は、3ラド以下で脱毛がおきないという暴論を吐いた。私たちの体験から判断しても、科学性から見ても、このようなムチャクチャな議論を繰り返していては、政府は何をしているのかということになる。
 原爆投下を招いたのは政府の責任。その救済に間違った科学的知見を用いていることは被爆者の切り捨てになるだけでなく、核兵器の被害を過小評価するという大変な問題だ。このままでは、原告と被爆者は無限地獄に入っていかされる。これを契機に一括解決をしてほしい。


■玉本晴英さん(原告・広島)
 私も同じ意見だ。広島でも死んでからの認定が5人にもなった。「死んでからでは何もならない。なぜもう少し前に・・・」と奥さんが言っていた。

■木村民子さん(原告・大阪)
 私は主人と二人で、42年間商売をしてきた。細々とした夫婦二人の商売だが、子ども2人を育てて、なんとか生活をしてきた。商売をつづけるためには、お客さんの信用が第一だった。
 そんな私からみたら、行政の人は無責任だと思う。腹立たしい思い。私は原爆症と認定されたが、自分だけ認定されても喜べない。305人全員が認定されるまで、がんばる。
 私はもう年だからいいが、政府がこんな態度を続けることを、子どもや孫になんて言ったらいいのかと思う。子どもたちや孫の今後も不安。行政の人が責任を持たないから年金なども起こってきた。前向きに、責任有る仕事をしてほしいのでお願いします。

■飯田マリ子(被爆者・東京都原爆被害者団体協議会会長)
 私は13歳のとき長崎の2.3㎞で被爆した。自宅の下敷きになった。本来ならここに座れるような状況ではなかった。あの日、たすけ出された私の隣で、次ぎ次ぎに被爆者が亡くなっていった。
 「生かされてきた」という思いで生きてきた。東京の被爆者の会は、みんなで団結して「核兵器なくせ、戦争なくせ」とがんばってきた。
 戦争を始めたのは国。被爆者はそのために苦しんできた。いままで被爆者からの相談をたくさん受けた。被爆距離が2㎞以内とか、病気の種類とか、原爆症認定は線引きがひどかった。どうし出しても無理だと話して、何人も諦めてもらってきた。今は、そういう人たちが次々に亡くなられていて、申し訳けないという気持ちで一杯。
 新方針でも、あきらている人もいるが、以前の冷酷な基準で申請を却下されて、異義申し立てもできず、裁判に参加する時間もなく、亡くなった人もいる。厚労省はそういう人にどういう気持ちでいるのか。きちんと被爆者に謝ってもらいたい。25万人の被爆者の1人でも多く認定されるように、救済されるようにしてほしい。

■中村雄子(被爆者・神奈川県原爆被災者の会事務局長)
 以前に日本被団協の一員として厚労省と交渉に参加したとき、私の隣りに医務官がすわっていた。
 私は、残留放射線について発言した。被爆後、宮島から漁師が舟を使って救援に入って、死体処理などにたずさわった。その人たちに脱毛とか紫斑が出て亡くなったことを話したら、その医務官はうなずいてくださった。「わかってもらえた」と思っていたが・・・。
 原爆被爆は実際に遭った者しかわからない。私たちの話をわかってくれない。
 神奈川で相談を受けた人で、4.5㎞で被爆し、入市した人が、亡くなった。裁判に参加することもできなかった。こういう被爆者がたくさんいることを知ってほしい。ずっと、こういう政治をつづけてきたことを「行政の誤りだった」と、謝ってほしい。亡くなられていった被爆者人たちの気持ちを思うと、そう言いたい。推進官はステキだし、課長補佐はやさしい方。厚労省の人は、お一人お一人はいい方と思うが、「まだ考え中」という時間が、ずいぶんかかっている。大阪判決、仙台判決を上告することなく一括解決を。厚生労働大臣には謝ってほしい。

■児玉三智子(被爆者・千葉県原爆被爆者友愛会事務局次長)
 提訴している人、認定申請をしている方はもちろんだが、それができないで亡くなった被爆者がたくさんいる。
 肝臓ガンの末期を迎えていた友人の孫が白血病になった。自分が被爆者だから孫が白血病になってと、自分を責めていた。その孫が亡くなられてしまった。友人は、自分を責めて責めて「孫が1人で可哀想だから」と、病院でみずからの命を絶った。自分の死期が近いことを知っていたが・・・。
 鏡台の引き出しに被爆者手帳をしまい込んでいた被爆者がいた。「子どもが産まれないのはお前のせいだ」と夫から暴力を受けていた。ついに離婚した。生活保護の申請の相談をうけたとき、「63年間、こんなに辛い思いをするなら、家族と一緒に、あの時、死にたかった」と話していた。家族は原爆のため全滅されている。
 被爆者はあしたの命がわからない。いろんなことがあったけど、「生きていてよかった」という行政をしてほしい。「生かされてよかった」と思わせるような行政をしてください。もう時間がないんです。
 私たちは、たまたま広島にいた、というだけで被爆者になった。何の罪もない子どもが被爆したために、63年間、苦しんできた。これ以上苦しめないでください。

■岩佐幹三(被爆者・日本原水爆被害者団体協議会事務局次長)
 私は、広島の爆心地から1.2㎞の自宅で被爆した。火災が迫ってくる中で、自宅の下敷きになっている母を見殺しにして逃げた。学徒動員に出ていた妹は、遺体もわからない。孤児になった。このときの思いを胸にたたき込んで、ずっと生きてきた。いままでの話で、被爆者がどんなに苦しんでいたかわかったでしょう。
 みなさんは公務員。国民の立場にたって仕事を進めなければならない立場にある。
 いまの話が、みなさんの親御さんや兄弟、身内におこったら、という対応するかということを考えてほしい。そう考えて初めて人の立場に立てるのだと思う。被爆者の問題とともに人類の平和にかかわる問題として。

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