《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌-12

小佐古証人(国側)、「知らない」連発 司法判断への無責任な姿勢を露呈
2005年2月23日(水)・大阪地裁

 驚いた。そして、無性に腹が立った。2月23日、大阪地裁202号法廷で開かれた原爆症認定集団訴訟・近畿の第11回公判。被告・国側がこの裁判で総論的観点から立てた唯一の証人、
小佐古(こさこ)敏荘・東大原子力研究総合センター助教授に対する原告側弁護団の反対尋問が終わりに近づいたころ。長崎の被爆者・松谷英子さんの原爆症認定申請を国が却下したことを、最終的に不当と判断した2000年7月の長崎原爆訴訟最高裁判決についての質問に、小佐古氏から、投げやりで無責任な答えが次々に返ってきたのだ。

 尾藤廣喜弁護士 あなたは都合の悪いことは「分からない」という。
(放射線による急性症状の一つの典型、脱毛について、国が使ってきた原爆放射線線量評価システム・DS86の機械的な適用では、爆心地から2・45kmで被爆した松谷さんも発症した事実を説明できなくなる、と最高裁判決が重く見ている点をふまえて)
最高裁判決が指摘したDS86の問題点について読んだか。
 小佐古証人 読みました。
 尾藤弁護士 どういう点が問題点だと指摘したと思うか。
 小佐古証人 いまだに分からない。
 尾藤弁護士 最高裁判決で指摘された問題点について検討したことはあるのか。
 小佐古証人 立ち話程度の話はした。
 尾藤弁護士 DS86は放射性降下物について広島、長崎ともごく一部地区しか取り上げていない。あなたは「黒い雨」の範囲を知っているか。
小佐古証人 はい。
尾藤弁護士 実際に被爆者に聞き取りしていった増田善信氏の調査で、それが約4倍に広がることが分かったことを知っているか。
小佐古証人 知らない。
尾藤弁護士 「黒いすす」のことは知っているか。DS86の中で議論されたか。
小佐古証人 すすは議論していない。
……

 小佐古氏に対する原告側反対尋問はこの日午後3時すぎから同5時40分まで行われた。原告側は藤原精吾・弁護団長を先頭に、中森俊久、三重利典、稲垣眞咲、豊島達哉、有馬純也の各弁護士がつなぎ、しんがりを尾藤弁護士がつとめた。
 藤原団長がまず、放射線防護の基準を設定する上で線量と疫学的知見が「二輪車」だと小佐古証人も言っていたことを再確認。反対尋問の前半は、DS86やそれを見直したものと国側が説明するDS02の問題点を、計算値と実測値のずれの問題を軸に質していった。小佐古氏はDS86、DS02の妥当性に固執したが、DS02については、3年が経過したいまもまだ総括ができていないことを認めた。
 被爆者の症状の問題に移ると、小佐古氏はとたんに口が重くなった。国側が無視している遠距離被爆者の発症について、稲垣弁護士が、日米合同調査団や東京帝国大医学部の調査データなどを突きつけ、爆心地から2・1-2・5kmでも脱毛の急性症状が出ているではないか、と迫ると、「私の専門ではない」「知らない」「脱毛についての所見は、私は答えられない」などと繰り返した。豊島弁護士が入市被爆者の発症に関するデータを提示して質問すると、「入市被爆者の問題があるということは存じていたが、具体的データは知らない」。
 こうして、冒頭の尾藤弁護士と小佐古証人のやり取りに至ったのである。尾藤弁護士は、同証人が言った「二輪車」のうちの疫学には「興味がないのか」と皮肉ったあと、「被爆の実態を見ずして、DS86あるいはDS02の妥当性を議論することはできないのではないか」と最後のダメを押した。小佐古氏は「疫学の立場からするとそうなると思う。DS86、DS02は線量の側面から考えている」と答えるのがやっとだった。

 「二輪車」を運転できない小佐古証人の発言を聞いていて、これは被告国側の被爆者切り捨ての審査基準そのものの論理破綻を象徴しているのだと、あらためて気づいた。
 国に対して最初から抱いていた疑問に立ち返ってみる。原告弁護団は2003年10月10日付の「求釈明申立書」で、長崎原爆訴訟に勝利した松谷さん、京都原爆訴訟で勝訴をかち取った広島の被爆者、故・小西建男さん(2000年11月、大阪高裁判決)について、裁判所がいずれも国に否定されていた原爆放射線起因性を認めたのだから、それに合致する認定基準を定め、それに従って認定審査を行う必要があるはずだが、新しく見直したという国の「審査の方針」によれば、「各人の認定された病名につき、どのような要素が判断対象となり、推定した被爆線量の値はいくらであり、また、原因確率の数値はいくらになるのか、さらに、どのような判断経過のもとで認定されることになるのか、ならないのか」を明らかにせよ、と追及した。
 これに対して、国側は2003年12月10日付の「被告ら第2準備書面」の中で、要旨次のように答えたのである。
  ①二人の申請疾患は「右半身不全片麻痺及び頭部外傷(脳損傷)」(松谷さん)「肝臓機能障害、白血球減少症」(小西さん)であり、審査の方針において原因確率が示されている疾病ではないため、原因確率を算定することはできない。②仮に審査の方針に基づいて判断するとすれば、起因性については「申請者の既往歴、環境因子、生活歴等」を総合的に勘案して個別に判断すべき事案であり、治癒能力への影響についても、医療分科会の各委員の専門的知見にゆだねられ、個別に判断されることになる。③なお、被告厚生労働大臣は、松谷訴訟の最高裁判決、京都原爆訴訟の大阪高裁判決の拘束力により、二人の申請疾患(ただし京都原爆訴訟については白血球減少症)については放射線起因性があるとの前提に立って、両原告に原爆症認定を行ったものである。
 これはもう、驚くべき開き直りの論理というほかない。ひらたく言えば、審査の方針からすれば認定できないが、裁判の判決という拘束力があるので、しょうがないから認定する―というに等しいのだ。審査の方針自体に問題があったのでは、との疑問などさらさら抱かない。そして、「総合的勘案、個別的判断」の具体的内容は、返答不能である。司法の権威―「法の支配」をも愚弄しているといっても過言でないのだ。
しかも、この理不尽な国の姿勢は現に続いている。昨2004年3月末、東京地裁で勝訴した東(あずま)原爆裁判の原告で長崎の被爆者、東数男さんのケースについても、国は控訴。東さんは本年1月29日、76歳で亡くなった。日本被団協など3団体が出した声明は「控訴理由は、一審判決が退けた、被爆の実態を無視した非科学的な主張の蒸し返しにすぎませんでした」と指摘、「東さんはついに自分の病を原爆症と認定されないまま、無念の死を迎えたのでした。私たちは、東さんの死に深く哀悼を捧げるとともに、東さんを死に追いやった戦争と原爆と、国の被爆者行政をきびしく糾弾します」と怒りをぶつけている。

 話を元に戻す。この日は午前11時に開廷、昼休み休憩をはさんで午後2時半までは、原告側の証人、広島の被爆者(当時13歳)でもある沢田昭二・名古屋大名誉教授(素粒子物理学専攻)に対する被告国側の反対尋問があった。国側は、主として、沢田氏がこの裁判に提出した意見書(2004年11月15日)の中で展開したDS86やDS02批判を中心に反論を試みようとしたが、沢田氏から引き出した証言は、かえって沢田意見書のポイントを裁判官にも、よりかみくだいて説明する場と化したように思える。国側反対尋問は失敗した。沢田氏は、自分の尋問を終えてからも、ほぼ満席に近い傍聴席の最前列に陣取って、小佐古証人への原告側反対尋問を午後5時50分の閉廷までじっと見守った。

 次回公判は4月22日(金)、次々回は5月20日(金)、いずれも午前11時―午後4時半と決まった。次回からは個別原告の証拠調べに入る。沢田意見書は「被爆以前の健康状態と被爆後の健康状態との変化についての検討、被爆後半世紀以上にわたる健康状態や病気の状況などを総合的に検討することによって放射線影響を判断することが、残留放射線による内部被曝と被爆者の放射線感受性の問題も含めてもっとも適切」と主張した。個々の被爆者の立場に立った裁判を求めていく新たな戦いの始まりだ。
閉廷後、弁護士会館で、短時間、報告集会があった。沢田氏は「弁護団がよく勉強してがんばってくれた」と労をねぎらった。弁護団からは「原告全員が勝利できるような裁判をめざそう」と引き続く力強い裁判支援を訴えた。公正な裁判を要請する署名は3633筆分追加提出されて、累計25724筆に達した。5月15日には、原爆訴訟支援近畿連絡会がこの裁判の原告全員を励ますつどいを大阪で開く(場所・大阪保険医会館、時間未定)。以上
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