《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原告 西本治子さんのうったえ (6/5)

東京原告の西本治子さんが、6月5日、桝添要一厚生労働大臣と面談した際にうったえた内容です。

 西本さんは、甲状腺機能低下症で原爆症認定申請をして、昨年3月22日の東京地方裁判所の判決で勝訴しました。
 しかし、国が控訴したために裁判は東京高等裁判所で続いています。
 4月から実施された新しい審査基準でも、甲状腺機能低下症は積極認定の対象からはずされ、個別判断とされるため、認定されるかどうかわからず、不安な状態に置かれています。
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私は7歳の時、長崎で被爆しました。
原爆手帳の距離は3.8キロですが、8月10日から三日間、両親に連れられ、おばさんの安否を確かめるため、爆心地のすぐそばまで歩いて往復しました。


2.私は、原爆前は、「ほうっておいても育つ」と言われる『元気印』の子どもだったのに、それが原爆を境に一変してしまいました。
 ちょっとした傷でも化膿し、白血球減少症、低血圧、ひどい頭痛にずっと悩まされ、生理の時は吐き気も加わりました。

3.結婚して、夫は子どもをほしがりましたが、私は、どうしても産む気になれませんでした。原爆のせいで障がいのある子が生まれるのがこわかったのです。子どもを産めないと言った時の夫の顔が忘れられません。
夫とは離婚になりました。
夫の連れ子を引き取り、調理の仕事をして必死に生活しました。

4.昭和58年にどうしても身体が動かなくなって入院し、甲状腺機能低下症と診断されました。それ以来、薬を欠かせません。治療で注射を打つと1時間は動けず横になっていなければなりません。今もつらい治療を続けています。

5.私は、原爆で真っ赤に燃える長崎の町を見て、「私の長崎が燃えてしまう」ととても不安に思いました。原爆が無ければ、私の人生は、健康で、もっともっと楽しいこともたくさんあったはずです。

裁判所は私の証言を聞きたくさんの証拠を調べて、私の甲状腺機能低下症を原爆症と認定してくれました。これで、原爆に苦しめられた苦労が報われ、生活も少しは楽になるかと思いました。

ところが、厚生労働省は控訴して裁判で争い続け、4月にできた新しい基準で私は認定されるかどうかもわかりません。厚生労働省は、被爆者がどれだけたいへんな思いをして裁判をしているのか、わかっているのでしょうか。
被爆者には時間がありません。

裁判所で原爆症と認められた人がきちんと認定される、安心できる、そういう制度にしてください。私たち原告全員を一日も早く認定してください。
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