《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌⑭

がんばった!筆談で3時間3分の本人尋問
2005年5月20日(金)・大阪地裁

ニューヨークの国連本部で5月2日から開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は、アメリカのブッシュ政権が、前回2000年の再検討会議最終文書で、全会一致確認された「核保有国による核兵器廃絶への『明確な約束』」の履行に背を向けたため、実質審議にも入れず、難渋していた。
廃絶へ、一歩でも前進を。米国の平和団体が主催して同じニューヨークで開かれた反戦・反核の集会とパレードは4万人にふくれあがった。その輪の中に、日本からかけつけた被爆者たちがいた。「NO MORE HIROSHIMAS」と大書した横断幕の先頭に。国連本部ビル内では、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)主催の原爆展が展開され、被爆の生き証人たちが連日、来場者に体験を語っていた。

そして、5月20日、大阪地裁。ここでも、原爆症認定申請を却下された被爆者たちが、国を相手に、体を張ってたたかっていた。「戦後の自ら受けた苦しみを国に認めさせることにより、自分たちと同じ苦しみを世界中の誰にも再び味あわせることのないように願って、核兵器のない世界をつくる礎となろうとする」(原告訴状から)強い意志に基づくたたかいだ。
前回から個別原告の証拠調べに入った原爆症認定集団訴訟・近畿の公判は、第13回のこの日、202号法廷で、大阪市生野区の佐伯俊昭さん(72)と兵庫県篠山市の深谷日出子さん(78)=いずれも広島の被爆者=に対する尋問が行われた。
本人尋問は一人約1時間半(原告側主尋問、被告側反対尋問、裁判官尋問合わせ)の割り振りとされてきたが、この日の一人目、佐伯さんは、午前から昼食休憩をはさんで午後に及ぶ異例の長さとなった。佐伯さんは1999年、喉頭腫瘍摘出手術を行った結果、発声が不能となり、筆談で尋問に答えることになったからだ。
午前10時半、開廷。宣誓書代読の後、原告側弁護団席から大槻倫子弁護士が質問に立つ。証言台の前に座った佐伯さんの横に中森俊久弁護士がつく。「あなたは認定申請時の健康診断個人票には『爆心地から2キロで被爆』とあったが、今回の申し立てで、1.7キロとしたのは、地図で分かったからか?」と大槻弁護士。佐伯さんがうなずきながらメモにペンを走らせる。「はい、そうです」と中森弁護士がメモの答えを読み上げる。「原爆投下の瞬間はどんなだったか?」。こうなると、質問は短くても、佐伯さんは具体的に答えるために、必死にメモしていかなくてはならない。中森弁護士が書き上げられる前から少しずつ読んでいく。「…目の前でマグネシウムをたくような白昼光だった。…次の瞬間、…花火が爆発したような…大音響が発生しました」。被告側代理人が、どんなメモをしているのか、様子をさぐるように佐伯さんのそばに近寄ってのぞきこむ。
当時12歳、比治山橋近くにあった県立広島商業中学校の1年生だった佐伯さんは、家屋撤去の勤労奉仕に出かけるため、校庭に整列したとき、被爆した。全身に火傷を負い、皮膚がだらりと垂れ下がったこと、ケロイドがいまも残っていること、爆心地により近い自宅にいた母と妹の被爆死、父も県庁で被爆、全身にガラス片を浴び、後に原爆症の認定患者になったが、急性白血病で亡くなったこと…。被爆の事実を答えていくだけで1時間かかった。両弁護士が役割を交代して、被爆後の体調の変化を中心にさらに筆談が続き、午後零時8分、昼食休憩に。
午後1時半、再開。被告国側の反対尋問がこまごまとした事実関係を主に約40分。さらに原告側弁護士の補充質問と、田中健治裁判官の尋問があり、終了は2時55分。午前の部と合わせると3時間3分にも及ぶ筆談での質疑応答だった。佐伯さんはその間、一瞬たりとも気を抜くことがなかった。田中裁判官が「被爆当日、上はランニング1枚だったのか、下は?」と尋ねたとき、読み上げられた佐伯さんの答えに、傍聴席がどよめいた。「裁判長の許可があれば裸になって(ケロイドを)お見せします。上半身、脱ぎましょうか」。西川知一郎裁判長が「それは結構です」と制し、次の質問に移ったが、佐伯さんは文字通り、体中で話したかったに違いない。筆談に追いやられることになった喉頭腫瘍の原因となる事情は、まさに被爆以外に考えられない(起因性)と、佐伯さんは原爆症認定を求めているのである。
 弁護士に促されて、裁判官への締めくくりのひと言。
 佐伯さん 被爆60年過ぎても、私のような人々が他にも大勢いる。正当な判決をお願いします。

続いて深谷さんへの尋問があった。被爆当時、18歳。広島赤十字病院で救護に従事していたが、8月6日朝、空襲警報が解除になり、爆心地から約1.5キロの寄宿舎で当番として掃除の点検に当たっていた。廊下の外界に面した窓ガラスのほこりを点検中に被爆。黄色い光線が鋭く目に入った。無数のガラスの破片が体内に突き刺さった。木造2階建ての寄宿舎は倒壊し、建物の下敷きになったが運良く逃げ出せた。包帯でぐるぐる巻きのまま、不眠不休で看護に追われたが、その後は典型的な下痢などの急性症状。両目が後にだんだん悪くなり、白内障と診断された。右目は失明しており、白内障は原爆被害だと訴えた。
国側はいったん起因性については認めていたが、裁判途中で「事務的な手違いがあった」として起因性自体を否定してしまい、深谷さんをいっそう怒らせている。
深谷さん 被爆者は平均年齢70いくら。厚生労働省は私たちが死ぬのを待っているのではないかと思った。

午後4時37分、閉廷。まもなく裁判所近くの大阪弁護士会館で報告集会があった。次回公判は6月29日(水)午前10時半から大阪地裁で、原告3人の証拠調べ。美根アツエさん(兵庫)の自宅での出張尋問は、体調が悪く7月13日(水)に延期された。   以上
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