《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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原爆症認定集団訴訟・近畿の公判傍聴日誌⑮

法廷での原告証拠調べ(本人尋問)終る
2005年6月29日(水)・大阪地裁

 原爆症認定集団訴訟・近畿の第14回公判が、6月29日午前10時半から、大阪地裁本館2階の202号法廷で開かれた。この日は、3人の原告、大阪府門真市の甲斐常一さん(80)、神戸市北区の葛野須耶子さん(75)、兵庫県川西市の井上正巳さん(74)に対する本人尋問が行われた。
 午前中は、広島に原爆が投下された当時、陸軍衛生兵だった甲斐さん。長野県下に派遣されていたが、勤務先の広島市基町の広島第一陸軍病院へ8月6日夜までに帰り、翌日から約1週間、市内で被爆者らの救出、手当て、死体処理作業に従事。その間に放射線に汚染された「入市被爆者」である。90年代後半、脳梗塞で倒れ、「椎骨・脳底動脈(後下小脳動脈付近)循環不全、脳梗塞後遺症、高血圧」などと診断されている。
2003年12月10日の第3回公判で意見陳述して以来の出廷で、奥さんに付き添われ、今回も車いすで証言台に。広島駅から陸軍病院へ向かう途中の様子を原告側弁護士から尋ねられ、黒焦げの電車の中でつり革を握ったまま死んでいる人がいた、などぽつりぽつりと話すうちに、感情が高ぶり、言葉が詰まる場面が多かった。それでも被告国側の反対尋問、裁判官尋問に懸命になって答え、「最後に国や裁判官に言いたいことは」と原告側弁護士に促されて、こう話した。
甲斐さん 原爆の被害と影響がずっと秘密にされてきた。私も当時、明かせば銃殺されると聞いて、しゃべれなかった。国はもっと早く対応すべきだった。(裁判官には)原爆がいかに悲惨か、ちょっとでも分かっていただきたい。

 午後はまず長崎の被爆者、葛野さん。2003年8月8日、この原爆症訴訟・近畿の第1回公判で、最初の原告意見陳述に立って以来だ。爆心地から約3・3キロの自宅で被爆した。長崎県立長崎高等女学校の4年生で15歳だった。本来なら、学徒動員されていた爆心地により近い三菱兵器製作所にいたはずだったが、たまたま過労気味だから休めと工場の診療所から指示され、自宅で寝ていた。被爆時の屋内の混乱、防空壕への避難、その後経験した、いいようのない体のだるさと疲れやすさ、そして1990年、甲状腺機能低下症と診断されたこと…。葛野さんは尋問に落ち着いて、冷静に答えていた。
 葛野さん 私の親友は即死し、大けがで苦しんできた友人もいる。自分も60年間がんばって生きてきたが、体調の悪さはやはり原爆の後遺症だと思わざるをえない。国の原爆症認定基準を改善してほしい。

 この日の原告尋問の最後は広島の被爆者、井上さんだった。証言台に立ったのは初めてである。
  井上さんは、被爆当時、広陵中学2年生で14歳。学徒勤労奉仕で家屋撤去作業に参加、爆心地から約1・75キロ付近の路上で整列していた。前が川と電車道でさえぎるものが何もなかった。原爆がさく裂した瞬間、正面から黄色い光線が向かってくるのが見え、猛烈な閃光と熱風に襲われた。そのまま吹き飛ばされ、着ていたシャツは焼きはがれ、顔面、首筋、肩、背中、両腕に火傷を負った。いまも左右両腕にケロイドが残る。
 半そでカッターシャツの井上さんは、証言台からケロイドの跡を裁判官に見せた。裁判官たちは身を乗り出してのぞきこんだ。
 原告側弁護士の質問に答え、井上さんは、その後の様子も詳しく語った。意識が朦朧となり、火傷で皮の垂れ下がった両手を前に差し出すかっこうでさまよい歩いたこと。家に帰ろうとしたが一面焼け野原で方角が分からず、結果的には市内中心部を歩いていたこと、死体の山、生きていても化け物のような姿の負傷者…まさにこの世の地獄を見たこと。そして、翌日から現れた鼻血、脱毛、めまい…。原爆症特有の倦怠感はその後も長く続き、背中や手のケロイドのため企業はなかなか採用してくれず、就職しても長続きせず退職を繰り返す人生となった。
 2001年、右手人差し指のケロイドの上に皮膚がんができて手術が必要と病院で診断され、人差し指は半分切断されてしまった。それでも国は原爆症認定申請を却下した。
 驚くべきことに、私の聞き違いでなければ、被告国側代理人は反対尋問で「指の部分はケロイドではないのではないか」となおも質した。原告側の徳岡宏一朗弁護士は、手術の3週間前に撮影された写真を西川知一郎裁判長に示し、「爪がこのように変色している。指のケロイド部分を本人にペンで囲ってもらいましょう」と要求、認められ、証拠提出された。
 井上さん 被爆者は放置されてきた。アメリカに「みんな死によるから」といわれ、日本政府が手を差しのべてくれなかったことが残念でならない。私たちはこの先長くない。人生のやり直しもできない。公正なお裁きをお願いします。

 午後5時10分閉廷。まもなく大阪弁護士会館で報告集会が開かれた。原告の井上さんは「しつこいぐらい、これでもか、これでもか、と突っ込まれ、途中で帰っちゃおうかと思いました。しかし20数万人の被爆者がいる。そのことを思い、頑張りました」とあいさつ、大きな拍手に包まれた。支援者の代表から、裁判所への公正な判決を求める署名が29088筆になったと報告された。
これで、長崎の被爆者で現在も病床にある神戸市北区の美根アツエさん(77)の臨床尋問を残して、集団訴訟・近畿の先発組全員の本人尋問は終了した。次回公判は7月27日(水)午後1時半から大阪地裁で。原告側の医師を代表して出廷する郷地秀夫さんへの尋問が行われる。
以上
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