《原爆症認定集団訴訟@被爆64年》 の最新情報

広島・長崎に原爆が投下されて60年+α。今、被爆者に癌などさまざまな病気が発症しています。被爆者が「原爆症認定」を求めておこした原爆症認定集団訴訟について、弁護団から最新情報を提供します。

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熊本原爆症裁判で長崎市を現地検証~全国の原爆症裁判で初めて~

長崎検証熊本原爆症裁判で長崎市を現地検証
~全国の原爆症裁判で初めて~
熊本弁護団 弁護士 中島潤史


1 初めての集団訴訟
「長崎の検証では,あなたに指示説明をしてもらうからね。」
熊本の原爆症裁判について,このように先輩の寺内弁護士から頼まれたのは,私が弁護士登録をして,1か月ほどが経過したときだった。
原爆症裁判とは,原爆の被爆者が,国に対し,原爆症認定申請を却下する処分の取消しと損害賠償を求めている訴訟であり,全国12地裁で係属している集団訴訟である。被爆者は,原爆投下から60年が経過した現在においてもなお,がんや身体の機能障害など,原爆の放射線に起因する「原爆症」に苦しみ続けている。
このような重大な訴訟において,新人の私が指示説明をするなど力不足とも思えたが,これほどやりがいのある仕事もないことから,直ちに引き受けることとした。
2 長崎市での検証が実現
熊本弁護団が今回実現させたのは,裁判官に原爆が投下された長崎市へ足を運んでもらい,現地検証を行うことである。
熊本地方裁判所は,弁護団の強い要望に応え,2005年11月25日,長崎市で,ついに現地検証を行った。
原爆症裁判は全国12地裁で行われているが,裁判所がこの裁判で被爆地を検証したのは初めてのことである。
この検証には,裁判官3名,原告5名など約30名が参加し,長崎市を一望できる稲佐山中腹のホテルの屋上,長崎駅に近い西坂公園,爆心地公園,原爆資料館の計4か所において,それぞれ原告側が指示説明を行った。
この検証は多くの報道機関の関心を呼び,テレビや新聞などで検証の様子が大きく取り上げられた。

3 なぜ現地検証をしたのか
この訴訟において,被告である国は,爆心から遠距離で被爆した原告らについて,放射線の影響を過小評価し,原告らの疾病は原爆の放射線に起因するものではない,と主張している。
しかしながら,実際には,原爆のすさまじい威力は,かなり遠距離においても人体に多大な影響を与えたばかりでなく,爆発が終わった後においても,被爆者は黒い雨を浴びたり,汚染された空気中の煙やすすを吸い込むなど,地上に残留した放射性物質が,被爆者の身体をむしばんだのである(残留放射能の放射線による外部被爆,内部被爆)。
被告国の主張が誤りであることを裁判所に理解してもらうためには,このような被爆の実態を明らかにすることが絶対に必要であった。
では,どうすれば被爆の実態を明らかにできるのか。
当時の被爆の状況は,被爆者しか知らないし,幼少時に被爆したのであれば,被爆者自身にも分からないことである。そうだとすれば,我々は,60年前に被爆地で何が起こり,現在被爆者に何が起こっているのか,という豊かな想像力を持つことによって,被爆の実態を明らかにするほかない。
そのため,法廷の中で原告らの話を聞くだけでなく,裁判官に直接被爆地に足を運んでもらうことで,被爆の実態を身体で感じてもらう必要があったのである。
これが,被爆地である長崎市を検証しようと考えた理由である。

4 検証に至るまでの問題点
ただ,検証を実現させる上で,いくつかの問題点があった。
(1) 原爆投下後60年という時の経過
第1の問題点は,現在の長崎市の状況を見ることが,そもそも「検証」にあたるのかという点である。
現在の長崎市は,ホテルやマンションなどが建ち並び,当然のことながら,その様子を見ても,60年前の被爆当時の長崎市の状況を知ることはできない。そのため,現在の長崎市を見ても検証にならないのではないかという疑問があった。
しかしながら,我々は,現在の長崎市においても,現場において当時の長崎市の状況を写真などを使用して説明するとともに,原告らにも当時の様子を語ってもらうことで,現在の長崎市の状況から被爆当時の長崎市の状況を想像し,感得することができると考えた。
すなわち,指示説明の方法を工夫すれば,現在の長崎市においても,当時の原告らの被爆状況がどのようなものであったかを検証することが可能なのである。
そこで,我々は,検証の位置を地図や写真で特定し,その周辺の当時の状況を原爆投下前後の写真などを使って説明する,というように,位置の特定と指示説明の方法を具体的に明らかにして,検証は可能であることを主張した。
その結果,被告国から強い異議が出されることもなく,検証を実現させることができたのである。
(2) 「検証」か「進行協議」か
第2の問題点は,裁判所は,長崎市へ赴いて現地を見るということ自体には了解していたものの,「検証」という方法で行うことには難色を示し,最後まで「現地進行協議期日」として行いたいとしていたことである。
その主な理由は,書記官が1人しか行けないため記録が取れないということであった。つまり,検証調書の作成が困難だというのである。
しかし,「検証」として行わなければ証拠調べにならず,事実上の見学になってしまう。また,全国初の出来事がインパクトのないものとなり,現在の誤った原爆症認定行政を打破するための運動につなげることもできなくなってしまうという問題点もあった。
調書の作成に問題があるのであれば,調書の作成方法を簡略化すればよい。そこで,我々は,検証はビデオ撮影で行い,そのビデオを検証調書に添付することとし,指示説明部分は,あらかじめ弁護団が作成した指示説明書を「別紙のとおり」で引用するという方法で調書を作成すべきであると提案した。そのような調書であれば,書記官が1人であっても記録を取ることが可能であると主張したのである。
その結果,裁判所を説得することに成功した。ここに,従来とは異なる画期的な検証調書が誕生することとなったのである。
(3) 裁判官に何を見せ,何を伝えるのか
第3の問題点は,「検証」としての実効性を高めるために,検証実施の場所としてどの地点を選択するかということである。
1日という限られた時間の中では,個々の原告が被爆した場所をすべて網羅できるはずもないしその必要もない。重要なことは,裁判官に,当時の長崎市の状況や原告らの被爆の状況を,体で感じてもらえる場所を探すということである。
そこで,我々は,何度か長崎市を訪れ,原告らの被爆当時の行動状況を踏まえて現場を確認した結果,4つの地点を設定することとした。
まず,長崎市の全体の状況を一望できる稲佐山中腹のホテルの屋上(標高約200m),次に長崎駅周辺を望むことができる西坂公園(爆心から約2km),そして原爆が爆発した地点である爆心地公園,最後に長崎原爆資料館である。
原爆資料館を選択したのは,場所的に爆心地公園の隣にあるというだけでなく,資料館の中には被爆時のさまざまな物体等が展示されており,被爆当時にこれらの物体等が存在した場所まで行かずとも,原爆の威力を検証することができるというメリットがあったからである。

5 実際にどのように検証を行ったか
最初の,稲佐山中腹にあるホテルの屋上は私が担当した地点であり,当時の長崎市の全体の状況について指示説明した。
指示説明の対象とした場所は,いずれもホテルから見える場所であり,爆心,長崎港,長崎駅,稲佐橋など計8か所である。
裁判官の前に,①当時の地図,②現在の地図,③パノラマ写真(ホテルの屋上から見える風景をパノラマで撮影したもの),④当時の写真の4つのパネルを並べて,それぞれの場所について当時の状況を説明し,その付近で被爆した原告らがいればその原告らの当時の被爆状況をも説明するという方法を用いて検証を行った。
例えば,爆心の説明であれば,爆心の位置を,当時の地図,現在の地図,パノラマ写真,実際の場所の順番でそれぞれ手で指し示して特定した上で(地図やパノラマ写真には,指示説明の対象となる場所が特定されて記入してある),裁判官の前で,原子爆弾が爆発した瞬間の写真や,キノコ雲が立ち上る写真,原爆投下直前の航空写真と原爆投下直後の航空写真などを順番に示しながら,爆心付近は原子爆弾の強烈な爆発であっという間に灰燼に帰したことなどを説明した。
また,原告本人からも,3名が指示説明を行い,被爆地点や被爆の状況などについて説明をしてもらった。被爆時に,ピカッと光るのと同時に爆風で体が吹き飛ばされた様子など,被爆の現場で語られる当時の体験はとても生々しく,被爆の状況を想像するという意味では,私が行った指示説明など足元にも及ばない迫力のあるものであった。
その後,西坂公園や,爆心地公園においても,同様に,原告代理人が,当時の写真パネルを多数使いながら,当時の周辺の状況などについて説明し,原告本人からも,数名が被爆の状況などについて説明をした。
原爆資料館では,原告代理人が,館内の検証ルートを図面パネルで特定しながら,展示物を手で指し示して説明を行った。
指示説明を行った展示物は,爆心地から約400mの地点にあったガラス瓶や,4.4kmの地点にあった孟宗竹など,全9点である。
孟宗竹の表面には原爆の熱線による影が印象されており,原爆の威力は,相当遠距離においてもすさまじい影響を与えたことなどを説明した。

6 現地検証を終えて
私自身,60年前の長崎市の状況をよく理解しているわけではなかったため,うまく指示説明できるだろうかと不安を感じていた。しかし,板井優弁護士から,指示説明に際しては,裁判官を説得しようとするのではなく,自分も一緒に分かろうとすることが大切だとアドバイスを受けたことで,プレッシャーから解放された。
裁判官も,原告代理人や原告本人の説明を熱心に聞いており,国が過小評価している放射能の影響について,法廷の中だけでは分からない被害の実態を体感してもらえたのではないかと思う。
こうして,現在の長崎市から60年前に何が起こったかを検証するという大胆な計画は,大きな成果を上げた。この勢いを,全国の裁判の勝利に向けた運動に生かしていきたい。


出典<「青年法律家」No.420(20006.2.25)より転載>
→青年法律家協会
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